思考の泡

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檄を飛ばす

「檄を飛ばす」という言葉があります。例えばスポーツの監督が選手に対して、もっと頑張れ!みたいな事を言うときによく使われます。

 

何かの本でこの使い方は間違いだというのを読んだことがあります。元々は戦国の武将が遠くにいる仲間に対して、自分はこれからこう動くからよろしくな的なことを伝えたのが「檄を飛ばす」だそうです。木へんの「檄」なのは、大昔は木の板に伝文を書いて伝令を飛ばしていたことから来ています。なので、オリジナルの意味は自分の意思表明をすることであり、決して相手を叱咤激励するという意味でありません。それが、激励の激と字が似ていることから、最近の「もっと頑張れ」的な意味になったようです。

 

この「檄」が一般的に知られるようになったのは、多分、三島由紀夫切腹前に自衛隊員にバラ撒いたの文章のタイトルが「檄」だった辺りからではないでしょうか。この文章は、最近おまえらはなっておらん、もっとしっかりしなけりゃダメじゃないかといったような事が書いてありました。「激を飛ばす」が今の意味になったのは、このあまりにも衝撃的な事件がきっかけであったような気がします。

 

今では有名な作家の先生でさえ激励の意味で使っているのをよく目にします。逆にオリジナルの意味で使われているのを見るとちょっとびっくりします。阿刀田高氏の小説の中でオリジナルの意味で使われているのを見て、流石、阿刀田先生博識でいらっしゃると感心したものです。

 

言葉というのは常に変化するものです。語源を持ち出して、今の使われ方は間違っているなどというのは、ちょっとおかしな気がします。古い言葉が全て正しいというのであれば、人々は平安言葉でも話していなくてはなりません。そして言葉を変化させているのは常に使う人々です。学者の先生やお役所が、正しい正しくないを決めるべき類のものでは決してありません。

Google AdSense の審査が独自ドメイン必須となった

2016年3月あたりから、Google AdSenseの審査を受けるのに独自ドメインが必須となったようです。新しく審査を受ける場合に独自ドメインが必須となったということなので、既に審査をパスした人は影響ありません。

 

このはてなブログなどはAdSense入門にもってこいのブログサービスだったのに、今後は無料版ではAdSense審査を受けられなくなってしまいました。Pro版にアップグレードして独自ドメインを設定するか、WordPress+独自ドメインブログを立ち上げるしかありません。他の多くの無料ブログでも同様で、あちこちで悲鳴が上がっています。

 

自分は今年の2月に審査をパスしたばかりだったので驚きました。あと少し思い立つのが遅かったら、ちょっと面倒なことになっていた筈です。

 

更に混乱を引き起しているのは、現在Google側のサーバーの問題で、独自ドメインを使っても登録ができないトラブルが多数発生しています。AdSenseヘルプフォーラムには毎日のように問い合わせが来ています。問題が出だしてから相当時間が経ってるのに、今のとことGoogleからの正式なアナウンスはありません。トラブルにあった人は相当イライラしているようです。まあ、この問題はそのうち直るとは思いますが。

 

Googleがポリシーを変更した理由は容易に想像がつきます。お手軽に登録できてしまうことにより、あまりにもレベルの低いブログが増えてきたということでしょう。まともな日本語も書けないような輩が単語を並べただけみたいな記事をよく見かけますが、そんなページに広告を貼り付けても効果が少ない、というか逆に広告主に損害を与える事になります。そういったブログを排除するという判断でしょう。

 

そもそもサブドメインで審査が受けられたのは日本のAdSenseだけで、同じAdSenseでも海外では何年も前から独自ドメインが必須だったようです。

 

では独自ドメインにすることによりブログの質は向上するのでしょうか?まあ有料サービスを使ってでもブログを書くという志の高い人や、WordPressを扱える程度のスキルを持つ人に淘汰されるので、少しは効果があると思います。

突っ込み所満載の言い訳会見

東京都知事と金銭スキャンダルというのは切っても切れない関係にあるようです。

 

先日の舛添都知事のあまりにも突っ込み所満載の釈明会見、ブログネタを提供してくれる有り難い存在です。あれだけで何百というブログ記事が書かれた(書かれる)ことでしょう。

 

まずあれだけ弁舌爽やかに淀みなく謝罪されると、「心からお詫びします」という発言とは裏腹に、やはり謝罪感というものがまったく伝わってきません。汗だくになりながらしどろもどろになっている猪瀬前知事や、訳が分からなくなって号泣してしまう野々村議員の方がまだ人間味があるような気がします。ああいうプライドの高い人の謝罪というのはあれが限界なのかなとも思います。

 

それにしても二年続けて予約までして行った家族旅行が、人数も内容も明かせないような会議をちょっとしただけで公務になってしまうというという無茶苦茶ぶり。重要な会議であったことを強調していた割には、子供と遊んだことは憶えていても、「(会議が)1時間だったか2時だったか終日だったのかは記憶にない」という有様。事務所関係者が参加していたと言っていましたが、正月に急遽木更津まで呼び出され、会議が終わったらじゃあお前らは帰れなどと言われた事務所関係者も気の毒なことです。まあそんな人が本当にいればの話ですが。

 

よく家族会議でもしてたんじゃないのと揶揄するの声を聞きますが、あれは舛添知事の脳内会議だったんじゃないか多くの人が思っている事でしょう。

 

それにしても舛添知事、一連の金銭問題ですっかりブラックなイメージが付いてしまいましたが、今回の会見は致命的だったと思います。国民感情を逆撫でしただけで、流石にあのお粗末な内容では擁護する声はまったく聞こえてきません。勢いづいている文春のことですから二の矢、三の矢を放ってくるかもしれません。果たして耐えられるでしょうか?

 

ラストシーン

岩崎宏美の Dear Friends といカバー曲を中心としたシリーズアルバムは昭和の名曲を数多く収録しています。最近の曲についていけないおじさんにとって、こういうアルバムは感涙ものです。

 

この中でちょっといい感じの曲で、確かに聴いたことはあるのに、誰が歌っていたかどうしても思い出せない曲がありました。曲のタイトルは「ラストシーン」です。そこまで出かかっているのに思い出せない。どうにも気持の悪いものです。

 

こういうときはGoogleです。調べてみるとすぐに分かりました。西城秀樹でした。

 

ああそうか、と記憶がよみがえってきました。当時テレビでこの曲を歌っているのを見て、激しい曲が多かった西城秀樹が、あれっ?次はこの路線で行くのか、などとちょっと意外な思いがしたことを辛うじて憶えています。

 

バラード調の地味な曲で、当時のトップアイドルが歌うにはちょっと地味過ぎるような気もします。そのせいかベストアルバムにもあまり収録されていないようです。自分自身も、当時以来一度も耳にしたことが無いと思います。こんな曲があった事自体すっかり忘れていました。しかし改めて聴くと、しみじみいい曲だなあと思います。

 

曲は阿久悠+三木たかしのゴールデンコンビです。突然女性に別れを告げられた男性の立場から歌った曲です。それも決して嫌いで別れる訳でなく、多分女性が海外にでも行くことになったのでしょうか、仕方無く別れることになったようです。直接的な事は一切語られていませんが、二言三言の会話の内容から聴く人の想像力をかき立てるようになっています。阿久悠先生お得意のパターンです。更に想像力を膨らませると、多分女性は年上の人ではないでしょうか?

 

こういう昭和の名曲が思い出したように発掘されるのも面白いところです。これでカラオケのレパートリーが一つ増えました。

 

レッドカードの三菱自動車

二度とやりませんと言っておきながら三回目。田代まさしかよっ!と突っ込みたくなります。

 

コンプライアンスが徹底されなかったということを社長が言っています。過去二回のリコール隠しであれだけ世間から叩かれてコンプライアンスが徹底されなかったのであれば、今後もコンプライアンスを期待することは無理でしょう。リコール隠しで反省している「振り」をしている間も、裏で舌を出して偽装測定を続けていた訳ですから。絶対他にも何かやっている筈です。

 

田代まさし氏が芸能界に復帰できないように、ここは三菱も自動車業界から退場していただくのが筋ではないかと思います。結構中国あたりから買い取りたいという話も出るでしょう。偽装大国中国であればあの程度の偽装は無問題でしょう。三菱が中国の傘下になるというシュールな状況が案外現実になるかも知れません。

 

三菱は会社規模に対して車種が多過ぎる、選択と集中が必要だということを専門家がよく言っています。それを言うのであればそもそも経済が停滞している日本に自動車会社が多過ぎます。日本全体で自動車会社の選択と集中が必要でしょう。

 

三菱自動車がまたやりやがった

リコール隠しでお馴染み三菱自動車がまたやってくれました。毎年確実に発生する大企業の偽装事件、既に殿堂入りしている三菱自動車が再登場です。

 

リコール隠しで死人まだ出しておきながら他人のせいにしようとしていた2000年の事件に世間は呆れかえりましたが、もう二度としませんと言っておきながら数年後にまたリコール隠し。ノリ突っ込みをやっているのかと思いました。

 

リコール隠し事件の経緯は池井戸潤氏の「空飛ぶタイヤ」という小説で詳細に描かれています。一応フィクションの形をとっていますが、ほぼ現実の事件を忠実に描いています。自分達を中心に世界が回っていると思い込んでいるような大企業がじわりじわりと追い込まれていく姿がエンターテイメント性豊かに描かれています。結末は分かっているのに読み出したたとまらない面白さです。

 

当時丁度自動車を買い替えようとあれこれ検討していた時期でしたが、即刻三菱を候補から外したのを憶えています。今度自動車を買い替えるときも三菱車はまあ韓国車と同じくらいの優先準位であれば考えてもいいかも知れません。

 

重力波観測の衝撃

重力波が初めて観測されたというニュースが飛び込んできたのが日本時間の2月12日。そんなこともあったっけ?と既に忘れかけている人も多いでしょう。政治スキャンダルや芸能ニュースと違って、科学ニュースは人々の頭に残らないものです。

何が凄いって、今回の観測があまりにも幸運に恵まれていたことです。

今回重力波を観測したのはLIGOと呼ばれるアメリカの観測装置です。2004年頃から試験的な運用を開始したようですが、その後もテストしたり改良したりを繰り返していていました。今回の観測は、5年にも渡る大規模な改修工事で機能アップした後、2015年9月に観測を再開し、そこから1ヶ月も経たない内の出来事でした。

観測された重力波は13億光年の彼方で二つのブラックホールが衝突して合体したときに発生したものです。(どうやってそんな事が分かったかというと、それはそれでとても面白い話なのですが、あまりにも複雑なのでここでは省略します。) 重力は光の速度で伝達します。つまり重力の波が13億年かけて地球に到達し、地球をサーっと横切った瞬間、観測装置に波形が記録されました。検出された時間はたったの0.2秒。つまり13億年分の0.2秒を捕まえた訳です。到達するのがあと数ヶ月早かったり、観測するのがあと数ヶ月遅かったら捕まえることはできませんでした。本当に幸運としか言い様がありません。

 

今回(と言っても13億年前ですが)衝突したのは太陽質量の36倍と29倍のブラックホールです。合体して太陽の62倍のブラックホールが誕生しました。あれ? 36+29=65 じゃないのと思うかもしれませんが、この差分の3太陽質量分がエネルギーとして一気に放出されたのです。これがどれほど凄まじいものかというと、全宇宙の星が放っているエネルギーを合計したものよりも50倍もの大きさだと言います。これ程のエネルギー放射は、スケール感が麻痺した宇宙現象の中でもそうあるものではありません。こんなものが太陽系の近くで起こったら人類など瞬殺です。13億光年の彼方で幸いでした。

あまりにも良いタイミングということで思い出すのは1987年日本のカミオカンデの例です。あちらも観測を開始した直後に、偶然にも大マゼラン雲で発生した超新星爆発からのニュートリノを検出して、小柴先生のノーベル賞に繋がった訳です。人類はついているのかもしれません。

 

しかし幸運の度合いで言うと今回の例はカミオカンデとは比較になりません。カミオカンデ超新星爆発は銀河系のすぐ近くで発生したものです。と言っても16万光年の彼方ですが。更に新星爆発は広い宇宙の中では比較的よく発生する現象です。それに比べブラックホールの衝突がどれくらいの頻度で発生するのかはよく分かっていません。それ以前に今回の様な大きさのブラックホールが存在することすら人類は知りませんでした。従来の宇宙論ではブラックホールは存在するにしてもせいぜい太陽の10倍程度か、あるいは銀河の中心に存在する太陽の何万倍もあるような超巨大なものしか知られていませんでした。その中間はブラックホールの空白地帯だったのです。それが今回の観測で、少なくとも30倍程度のブラックホールが実際に存在することがはっきりした訳です。とまあ、よく分かっていないブラックホールの実態ですが、観測可能なブラックホールの衝突が人類の存在期間中に発生したことすら奇跡だったのかも知れません。

 

重力波は減衰こそしますが、光の様に遮られたり吸収されて見えなくなってしまうことはありません。宇宙が存在する限り永久に空間を進み続けます。しかし観測するチャンスは目の前を通過した瞬間一回限りです。今回の観測は宇宙の中でも極めて稀な現象を、もうこれ以上ないくらい絶妙なタイミングで観測したと言えます。まさに幸運が重なったとしか言い様がありません。更にアインシュタイン重力波を予言してからちょうど100年目というおまけでついています。これってそうとう凄い事と思いませんか?