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思考の泡

プログラミング、サイエンス、その他日常のことをゆるゆると

ブラックホールを真正面から扱った「インターステラー」は稀にみるトンデモ映画だった

2014年に公開された「インターステラー」はブラックホールを科学的に描いたハードSF映画だという触れ込みでした。しかし実際に観てみるとこれが稀に見るトンデモ映画だったのです。一度これを文章に残しておこうと思います。

 

ネタばれありですのでご了承ください。

 

ストーリーをごく簡単に要約すると、第2の地球を探すべくワームホールを越えて別の銀河に行き、地獄巡りの旅をするという内容です。(ひどい要約だな。)

 

まず背景設定から。何故か地球では作物が育たなくり、近い将来人間は住めなくなってしまうだろうという設定になっています。しかしアメリカの田舎町が砂嵐にみまわれているシーンしか出てこなくて、地球全体で何がどうなっているかさっぱり説明がありません。人類の取る選択肢は、新しい居住可能な惑星を探すか(プランA)、スペースコロニーに移住する(プランB)かしかないということになっています。背景説明が荒っぽいのでよく分かりませんが、もう少し別の選択肢もあるんじゃないかと思いますが。

 

そんなとき何故か土星の近くに突然出現したワームホールが別の銀河に通じていることが分かります。重力理論もまだ完成していないのに、突然表われた重力異常をワームホールだと断定する根拠もよく分かりませんが、更にそこに有人探査機を送り込むとう無茶苦茶ぶり。

結局プランBはバックアッププランとして、プランAの可能性を探るべくワームホールを通って別の銀河に探検に行くことになります。

 

主人公は元NASAパイロットで、一応相対性理論の知識はあるという設定になっています。(娘に相対性理論を教えておきたかったという会話が出てきます。) しかしこの主人公、事象の地平線からは何物も脱出できないことを知らなかったり、強い重力場では時間の進み方遅くなるこも知らない、更に特異点のことも知らないといったように、とにかく変なのです。全て会話の中で相手から教えられています。まあこの辺は一般視聴者に基本知識を理解してもらうため、わざとこういう会話しているということで、大きな心で受け止めましょう。

 

ブリキ細工みたいなロボットが出てきた時点でかなりヤバい匂いがしてきます。このロボット設計したデザイナーどう見てもまともじゃないでしょう。何故かプログラムのソースコードみたいなものを常に胸のディスプレイに表示しています。あれは何の意味があるのでしょう?このロボット意外な運動能力を見せたりします。しかし大きく揺れ動く宇宙船の中であの角ばった巨体は凶器になるのではないでしょうか?

 

無事ワームホールを抜けて最初に訪れたのはブラックホール近くにある惑星。重力の影響で時間の進み方が遅くなり、惑星上での1時間が母船での7年に相当するので作業は迅速の行なわなくてはなりません。ここで分かりにくいのが、惑星の重力が地球の1.3倍あって体が重いという表現が出てくることです。時間が遅れるのはこの1.3倍の重力のせいだと思いこむ人が多いと思いますが、この程度の重力ではほんとんど時間差は出ません。時間差が出るのはこの惑星がブラックホールの公転軌道上にあるからです。となるとこの惑星かなり高速で公転していて、更にブラックホールから猛烈な潮汐力を受けている筈です。それにしては波一つなく足が立つくらいの穏やな海が気になります。まあ最後には大波を受けてエラい目にあうのですが。

 

その後何だかんだあって、 主人公達はお約束通りブラックホールに吸い込まれそうになります。そこで機転を効かせた主人公は事象の地平線ぎりぎりまで近付き、その重力を利用して脱出(フライバイ)しよとします。しかし残念でした。ブラックホールの近くでは運動量が増えると、それは遠心力として働くよりも、より強くブラックホールに引き付ける力として働いてしまうというマニアックな事実をこの脚本家の方はご存じなかったようです。「運動の第三法則を使ってブラックホールから抜け出す」みたいなもっともらしいことを言っていますが、どうもブラックホールなんてちょっと頑張れば脱出できる程度の感覚でいるようです。

とにかく様々な困難が降り掛かる中で主人公の言った言葉がイカしています。「この際相対性理論は無視だ」と。無視してどうなる問題ではないと思うのですが...

 

ところでこの映画多分に「2001年宇宙の旅」を意識しているように思えます。エアハッチを爆破して宇宙船に乗り込むシーンや、ロボット(コンピュータ)が自己犠牲になって人間を救うシーン(これは「2001年...」の続編「2010年」のシーン)など、「2001年...」「2010年」へのオマージュともとれるシーンがいくつかあります。そう言えばお爺ちゃん(主人公の父)を演じていたジョン・リスゴーは「2010年」の中で重要な科学者の役を演じていた俳優です。

 

ブラックホールに飛び込んだ主人公は、気が付くと積み木細工みたいな空間にいるという場面転換シーンがあります。これも「2001年」を意識しているような気がします。「2001年」の中で宇宙をトリップしていた主人公が気が付くとビクトリア調の部屋にいるという意表をつくシーンがあります。原作者アーサー・C・クラークのイマジネーションとスタンリー・キューブリック監督の映像感覚が作りあげた、歴史に残る場面転換シーンです。しかしこの「インターステラー」、「2001年」のような神々しさが全く感じられません。安っぽいセットの中で糸に吊られてもがいているようにしか見えません。

 

ブラックホール内で主人公は、重力が時間と空間を越えられること知ります。これ自体相当トンデモな理論ですが、知ったところでそれをすぐに使いこなせるというのもあまりにも都合がよすぎます。が、百歩譲ってそれはまあ良しとしましょう。

そこで主人公は重力を制御し、過去の時間の中で自分の家の本棚の本を「押し出し」、娘にコンタクトをとろうとします。

重力を制御したところで周囲のもの全体に力が働いてしまい、一部の本だけに選択的に押し出すことはできません。あくまでもこれ、何億光年も離れた別の銀河から行っていることです。

更に言うと、そもそも重力は引力です。斥力としては働きません。本を押し出すことはできません。しかしこの主人公明らかに本棚の裏側から本を押し出しています。これはイメージ画像です、とでも注釈を入れた方がいいかもしれません。

 

とにかく重力を使って交信できるようになった主人公は今度はアナログ時計の針を使ってモールス信号で(大人になった)娘にブラックホールのデータを送り始め、娘はそれを必死で書き留めます。モールス信号って... いったい何ビットのデータが送れたんだよと突っ込みたくなります。娘はこれで重力の方程式が解け、「エウレカ!」と叫びます。

 

更に凄いのが娘とコンタクトできた理由というのが「愛の力だ!」と高らかに宣言するのです。思わず力が抜けてしまいました。今時「愛の力」って。凄過ぎます。「愛の力」が出てきた以上もう無敵です。何でもありです。

案の定、これ以降はなし崩しです。いつの間にかブラックホールからは抜け出しているし、おまけにワームホールからも抜け出して元の太陽系に戻ってきてしまっています。もう理屈付けをする努力すらしていません。更に凄いのが、気を失って土星上空を漂っているところを、偶然通りかかったシャトルに収容されたという。おいおい「偶然通りかかったシャトル」って... 

 

この作品、全体的にやはり文系の人間が聞きかじりの知識だけでストーリーを作りあげた感がぷんぷん漂っています。厳密なスケール計算は完全無視。「量子重力理論」とか「裸の特異点」とかキーワードは押さえていますが、あまりにも表面的なのです。無理矢理「マーフィーの法則」を絡ませてみたりするあたり、いかにもという感じがします。

物理学者の先生が制作に参加しているという話もありますが、ストーリー作りにどこまで関わっているのかは分かりません。STAP細胞論文みたいに名前を貸しているだけかもしれないし、多少声を上げたところで、一般相対性理論なんて、プロデューサーとかスポンサーとか、ハリウッドの論理にかき消されてしまったのかもしれませんし。

 

しかし所詮エンターテイメント作品。あまり重箱の隅をつついても詮の無いこと。こういう突っ込み所満載の作品って個人的には嫌いではありません。色々な楽しみ方ができますから。ラストはあわよくば続編を作ろうという魂胆も見え隠れします。是非作って欲しいものです。しかし興行的に成功したという話も聞かないし、まあ無理かなあ。