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思考の泡

プログラミング、サイエンス、その他日常のことをゆるゆると

STAP騒動と小保方さんのパソコンスキルについて

小保方さんが手記を発表して話題になっています。私はまだ読んでいません。というかマスコミでほとんど内容が放送されて、既に全部読んだ気分になってしまっています。リケ女にありえないような文学的表現があったりして、なんかゴーストライター臭がぷんぷんする手記、今後もまあ読むことはないと思います。

 

一連の騒動では、結局最後まで公表されなかった秘密のレシピや、「STAP細胞を作った人は何人もいます」と言っていた割には最後まで誰も声を上げなかった同僚や研究仲間とか、消化不良のところがいくつか残ります。

 

実験ノートを取っていないとか小保方さんの杜撰さが取り上げられていますが、私が感じるのは、論文の写真は取り違えるわ、学位論文は下書段階のもを提出してしまっただとか、とにかく彼女のデータ管理技術の未熟さです。想像するに彼女のパソコンの中って、もうファイルがぐちゃぐちゃで、何がどこにあるか自分でも訳わか状態になっている気がします。写真なんてタイムスタンプ一つチェックするだけでかなり間違いは防げるものです。彼女の場合、何年も前に撮った学生時代の写真と取り違えているのですから。

こういったファイル管理技術などというものは大学などでは教えてくれません。何度も痛い目にあいながら自分で習得していくものです。

 

象徴的なのが一番最初に疑惑が浮かび上った例の切り貼り画像です。切り貼りするにしても、今時中学生だってもっと上手く仕上げまっせ。あのレベルの切り貼りを良しとして、公の論文に載せてしまう神経が理解できません。自分だったらあの切り貼り一つで論文を止めると思いますが。あれが彼女のパソコン技術の限界だったのでしょう。この辺からも彼女のパソコンスキルの低さが見えてきます。

 

一連の騒動につては日経サイエンス誌がかなり早い段階から詳細な検証を行なっていて、ES細胞混入の可能性についても指摘していました。硬派の科学雑誌のプライドがあるのでしょう、他のマスコミでは絶対に不可能なレベルの詳しい検証記事で、私など半分も理解できませんでした。理解できないながらも見えてくるのは、この分野の研究がいかに微妙なバランスの上で成り立っているかということです。ちょっとしたパラメータの見落しや違いでまったく異なった結果が出てしまうのです。

 

例えば山梨大学の若ハ...失礼、若山教授が当初「(STAP細胞が)自分の研究室由来のマウスでないことが分かって混乱している」といった意味のことを発言して、マスコミが一斉に飛び付いていました。しかしこれには教授の見落としがあって、実はそうとは言い切れないことが後になって分かるのです。(これについては日経サイエンスを除いてマスコミは完全無視) 教授くらいの専門家でも見落すことがあるのです。まして未熟な研究者であれば尚更です。

 

どうでもいいことですが、若山教授を見るとトレンディーエンジェルを思いだしてしまうのは私だけでしょうか?いや逆か、トレンディーエンジェルを見ると教授を思い出してしまう。本当にどうでもいい話です。すいません。

 

未熟な研究者は教科書通りにならないような結果が出てきたりすると、ひょっとして自分は世紀の大発見をしてしまったんじゃないかと妄想してしまうことが往々にしてあるものです。普通であれば先達が理詰めに問い詰めたりして、最後には間違いに気付くものです。彼女の場合不幸だったのが、周りの連中に祀り上げられてしまったことです。

あわよくばおこぼれにあずかろうと論文に名を連ねた連中は、いざ事が起こると、実験には参加していなかっただとか、名前を貸しただけだとか、いかに自分の関わりが小さかったかということを全力で主張し始めます。げにあさましき光景です。

これってあの東京オリンピックの生牡蠣スタジアム騒動でも同じような光景が繰り広げられていましたね。

 

お亡くなりになった笹井先生は本当にお気の毒です。若くして全てを手に入れてしまったエリート中のエリート。先生、挫折を経験されたがなかったのだろうなと想像します。そこにきてこれ以上ないくらい最大級のバッシング。エリート故の高いプライドもあって心が持たなかったのでしょう。

挫折を経験して心を鍛えておくことも人は必要だということでしょう。