思考の泡

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檄を飛ばす

「檄を飛ばす」という言葉があります。例えばスポーツの監督が選手に対して、もっと頑張れ!みたいな事を言うときによく使われます。

 

何かの本でこの使い方は間違いだというのを読んだことがあります。元々は戦国の武将が遠くにいる仲間に対して、自分はこれからこう動くからよろしくな的なことを伝えたのが「檄を飛ばす」だそうです。木へんの「檄」なのは、大昔は木の板に伝文を書いて伝令を飛ばしていたことから来ています。なので、オリジナルの意味は自分の意思表明をすることであり、決して相手を叱咤激励するという意味でありません。それが、激励の激と字が似ていることから、最近の「もっと頑張れ」的な意味になったようです。

 

この「檄」が一般的に知られるようになったのは、多分、三島由紀夫切腹前に自衛隊員にバラ撒いたの文章のタイトルが「檄」だった辺りからではないでしょうか。この文章は、最近おまえらはなっておらん、もっとしっかりしなけりゃダメじゃないかといったような事が書いてありました。「激を飛ばす」が今の意味になったのは、このあまりにも衝撃的な事件がきっかけであったような気がします。

 

今では有名な作家の先生でさえ激励の意味で使っているのをよく目にします。逆にオリジナルの意味で使われているのを見るとちょっとびっくりします。阿刀田高氏の小説の中でオリジナルの意味で使われているのを見て、流石、阿刀田先生博識でいらっしゃると感心したものです。

 

言葉というのは常に変化するものです。語源を持ち出して、今の使われ方は間違っているなどというのは、ちょっとおかしな気がします。古い言葉が全て正しいというのであれば、人々は平安言葉でも話していなくてはなりません。そして言葉を変化させているのは常に使う人々です。学者の先生やお役所が、正しい正しくないを決めるべき類のものでは決してありません。